確率の傾向説:物理学的実在と認識論的挑戦
はじめに:確率解釈問題と傾向説の立ち位置
私たちは不確実な世界に生きており、その不確実性を理解し、予測するために「確率」という概念を用いています。しかし、この確率が「一体何であるか」という問いは、哲学の領域において長らく議論されてきた深遠な問題です。確率の解釈には、大別して頻度説、主観的確率論、そして今回探求する傾向説などがあります。
本稿では、特に物理学的実在との関係において重要な役割を果たす「確率の傾向説(propensity theory of probability)」に焦点を当てます。傾向説は、確率をあるシステムや状況が特定の結果を生み出す内的な「傾向」や「潜在力」と捉える見方であり、特にカール・ポパーによって提唱され、科学哲学において大きな影響を与えました。この解釈が、どのような認識論的意義を持ち、どのような課題に直面しているのかを考察してまいります。
傾向説の提唱と本質
傾向説は、サイコロを振る、原子が崩壊する、といった具体的な物理的プロセスにおいて、その現象が結果を生み出す「傾向」そのものが確率であると主張します。これは単なる観測結果の頻度や、主観的な信念の度合いとは一線を画するものです。
カール・ポパーは、量子力学における単一事象の確率を説明する際に、傾向説の概念を導入しました。頻度説が多数の反復試行の結果として確率を定義するのに対し、傾向説は個々の試行や現象自体が確率的な傾向を持つと見なします。例えば、ある放射性同位体が特定の時間内に崩壊する確率が0.5であるならば、その崩壊は「傾向」としてその原子に内在していると考えるのです。この考え方は、単一事象に確率を帰属させることを可能にし、量子論の記述に適合しやすいという利点を持つとされました。
他の確率解釈との比較
傾向説の特異性を理解するためには、他の主要な確率解釈との比較が不可欠です。
1. 頻度説との対比
頻度説は、確率をある事象が多数の試行において発生する相対頻度の極限として定義します。これは、客観的なデータに基づいて確率を経験的に定める点で直観的に理解しやすいものです。しかし、頻度説にはいくつかの哲学的な課題があります。
- 無限試行の仮定: 頻度説は、確率を「無限に多くの試行が行われた場合の相対頻度」と定義しますが、現実には無限の試行は不可能です。これは理想化された概念であり、現実の有限な試行に適用する際に、その正当性が問われることがあります。
- 単一事象への適用困難: 「明日雨が降る確率」や「ある特定の原子が崩壊する確率」といった単一の事象に対しては、頻度説は直接的に確率を帰属させることができません。単一の事象は繰り返されないため、その頻度を計算できないためです。
これに対し、傾向説は個々の試行やシステム自体に内在する傾向として確率を捉えるため、単一事象にも確率を帰属させることができます。これは、量子力学のような単一事象が確率的に振る舞う物理現象を記述する上で、頻度説よりも自然な枠組みを提供すると考えられます。
2. 主観的確率論との対比
主観的確率論(ベイズ主義の認識論の基礎)は、確率を個人の信念の度合いとして定義します。これは、情報が不足している状況でも合理的な推論を可能にし、信念の更新プロセスを説明する上で強力なツールとなります。
- 物理的実在性への関与: 主観的確率論は、確率が人間の認識主体に依存すると考えるため、それが客観的な物理的実在としての確率を捉えているのかという疑問が生じます。
- 個人差の許容: 合理的な個人間であれば信念の度合いは収束するとされますが、初期信念の違いが結果に影響を与える可能性も指摘されます。
傾向説は、確率を客観的な物理的システムの内在的な性質と見なすため、主観性とは一線を画します。これは、科学的な説明や予測において、主観的要素を排除し、客観的な根拠を求める立場にとっては魅力的な特性です。
傾向説の哲学的意義と魅力
傾向説は、いくつかの点で他の解釈にはない独特の哲学的意義と魅力を持っています。
- 物理的実在の反映: 傾向説は、確率を世界の客観的な性質として捉える点で、物理学における現象の根源的な不確実性を直接的に記述しようと試みます。これは、量子論が示唆する「真の偶然性」を哲学的に根拠づける可能性を秘めています。
- 因果関係との関連性: ある事象が特定の「傾向」を持つという主張は、それが特定の「原因」によってその傾向を付与されているという因果的な解釈と結びつくことがあります。例えば、サイコロの形状や質量、投げ方といった物理的条件が、特定の目が出る傾向を決定づけていると考えることができます。
- 科学的実践との整合性: 科学者は、実験の再現性や現象の予測可能性を追求する中で、しばしば「ある条件の下で、特定の事象がこれくらいの確率で起こるはずだ」という直観を持ちます。傾向説は、このような科学的直観を哲学的に正当化する枠組みを提供します。
傾向説が直面する課題
その魅力にもかかわらず、傾向説は多くの哲学的、科学的課題に直面しています。
- 傾向の「実体」と測定可能性: 傾向が客観的な性質であるならば、それはどのようにして存在し、どのように測定されるのでしょうか。傾向は物理量として直接観測できるものではなく、結果として現れる事象の頻度からしか推測できません。この循環的な構造は、傾向説の主要な批判点の一つです。もし傾向が測定可能なものであるならば、それをどのようにして定義するのか、という問題が残ります。
- 傾向の帰属条件: どのようなシステムや状況が、どのような傾向を持つと見なせるのでしょうか。傾向は、システムの構成要素だけでなく、それを囲む環境条件にも依存すると考えられます。特定の傾向を帰属させるための明確な基準や条件を定めることは容易ではありません。
- 量子力学との複雑な関係: ポパーは量子力学の確率的性質を説明するために傾向説を提唱しましたが、量子力学自体の解釈問題(例:非局所性、多世界解釈、隠れた変数理論)と傾向説は深く絡み合います。傾向説が量子力学の全ての側面を矛盾なく説明できるのか、あるいは特定の解釈を前提とするのか、という議論があります。
結論と今後の展望
確率の傾向説は、確率を物理学的実在の客観的な側面として捉え、単一事象に確率を帰属させることを可能にするという点で、確率の哲学において重要な位置を占めています。頻度説の限界や主観的確率論の客観性に関する問いに対し、魅力的な代替案を提示するものです。
しかし、傾向の存在論的な性質や測定可能性といった根本的な課題は未解決のまま残されており、これらは現代の科学哲学および認識論における活発な議論の対象となっています。特に、量子力学の進展と複雑な関係性の中で、傾向説がどのようにその概念を深化させ、あるいは修正されていくのかは、今後の探求に委ねられています。
読者の皆様が確率の哲学的基礎をさらに深く理解するためには、ポパーの原典に加え、デイヴィッド・ルイスや他の現代の科学哲学者による傾向説に関する批判的考察や発展的研究を参照されることをお勧めいたします。確率という概念が持つ多面性を理解することは、不確実性という現代の認識論的核心を解き明かす上で不可欠な一歩となるでしょう。
参考文献の例(深掘りのための示唆): * Karl Popper, The Logic of Scientific Discovery (1959) * David Lewis, A Subjectivist's Guide to Objective Chance (1980), in Philosophical Papers, Volume II (1986) * Donald Gillies, Philosophical Theories of Probability (2000)